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Bruno Latour考

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今日東京藝大で行われたBruno Latourの講演に行ってきたのですが。人類学の世界的権威の一人なのは確かな人物ですから、200人以上が講堂に詰めかけ院生とか研究者とかの雰囲気を醸し出している方々で埋まっておりました。写真は許可取ってないですがまあ文句がきたら消せばええがな、という。Bruno Latour、フランスはボーヌ出身の哲学者、社会学者、および人類学者。ボーヌ出身、というところでピンときた方は鋭いですが、どうもブルゴーニュワインの屈指の名家Louis Latour出身らしいという話で。この点は確認は取れていないので話半分としていただきたいですけども。 アクター・ネットワーク理論の創始者、と言ってもなんのこっちゃでしょうと思いますので検索してくだされ。超ざっくり説明すると主に科学実験等において人と実験道具等のモノを同列の行為主体として扱う、という理論でしてな。ちょっとそいつはオカルトか何かですか? という気持ちになるのもわからなくはないのですが。ただ、それを聞いて私が思ったのはですね。ワインに関して詳しい方であれば「テロワール(Terroir)」という概念はご存知だと思います。 ワインの、主にブルゴーニュにおいてその土地の特性(地質に加えてその土地の人間の気質や気候やなんやかんやが含まれる、という概念で精確な日本語訳はありません)に関してを表現する言葉なのですが。 おそらくアクター・ネットワーク理論の元はここからきています。あくまでおそらくですが。こんな機会ですし直接質問してみようかとすごーく思ったのですが、本人が実家がワイナリーであることを公表しているわけではないと思うのでそこは聞かない方がいいのかなと思って踏みとどまりました。とはいえ、これがなかなか面白いと思うんですよ。西洋というのは一般的な認識として人間と自然という主体-客体の二分法で世界を捉えていると考えられていると思うのですが、このテロワール、という概念は言ってみれば人間やら土地やら気候やらの各主体が各々に相互作用をなすという考え方であり、二分法的な考え方よりはどちらかというと東洋的な汎神論というかanimisticな思考であると思うわけです。 デカルトあたりからきっぱりと「modernité(近代)」が現出し、西洋=主客の二分法であるというのが思想史の教科書的な認識なわけです...

今さらながら一眼ムービーを考える

今まで動画と中判デジバックに関しては「沼どころじゃない、そっち行ったら死ぬぞ」と思っていたので今まで頑なに見ないことにしていたのですが、多少暇なうちにできることは増やしておいたほうがいいと思い始め、最近いろいろと調べております。 今メインはD800なので、H.264 1080p 30fps(full HD)までは撮れるんですよね。最高画質での連続撮影時間は約20分、720pまで落とせば約30分(いわゆる30分の壁)までは撮れますが、較べてみたところ1080pと720pの差はかなり大きいので、動きの速いもの等どうしても60fpsで撮りたいということでなければ1080pで撮るのが正解と思います。D810であれば1080p 60fpsも使えますが、仕様を見る限りでは一度に10分しか撮れなさそうですね。 まあNikonにしてみれば多分、ウチは動画屋じゃないんで長時間動画撮りたい方はHDMI出力付けときましたんでBlackmagicかAtomosあたりの外部レコーダー繋いでくださいということでしょうけど。ていうかクロサワじゃないんですから普通そんなに長回ししないでしょう? という話で。ええまあ。1カットが20分を超えるようなのってクラシック主体の演奏会か舞台演劇、あとインタビューくらいかな。長く撮れるに越したことはないですが、そうすると今度はセンサーの熱が問題になってきますし、十分といえば十分か。 D5とD500が4K動画が撮れるということで話題になっておりますし、私も期待しているところではあるのですがこの感じだと実は4Kで一度に撮れるのは5分とか、30分までは撮れるけどファイルが6個生成されますとか、30分で生成されるファイルサイズは約24GBになりますとかになる予感。なんか外部レコーダーを前提に考えた方が良いような。どうせ4Kで撮るのならH.264よりはProResで撮った方が良さげな気がしますしね。 というわけで当面は1080p 60fpsで撮れるのなら私はそれで十分です。4Kに慣れちゃうと1080pでも物足りなくなるでしょうけども。30fpsでは正直ちょっとカクカク感があります。まあH.264でもかなり綺麗です。実際ファイルサイズを考えると動画で無圧縮とか考えただけでも気が重いですし。D500の画素ピッチのままのD810後継機が出てきたらISO1280...

ワイン教室では教えてくれないかもしれないこと

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最近飲んで面白いと思ったワイン2種。左がオーストラリアのShobbrook Wines、右がカリフォルニアのBroc Cellarsです。とくに意識せずに買ってエチケットがたまたま黒と白で対称的だなと思ったのですが、そこに手書き風のシンプルな表記というところが似ているというのが並べてみるとなかなか面白い、とそのようなことを思ったわけでして。で、そのお味はというと。 ・CLAROTT 2014 Shobbrook Wines by Tommy Ruff 南仏っぽい綺麗なローヌみたいな赤。ちょいジャミーさあり、樽は感じない。税込み4,000円ぐらいとそこそこのお値段はしますが、試飲してポテンシャルを感じたので買いました。ビオ系に分類されるみたいなのですがそんなにビオっぽくはなく、あまりオリも感じず。セパージュはメルロとシラーズ。Lucy Margauxと並び称されるらしいのですが、ああいう小さい子供の描いた絵をエチケットにしましたみたいなセンスは好きではないので味以前の問題として飲む気がしないですね。 南オーストラリア、アデレード近郊のBarossa Valleyのワイナリーで、元々ヨーロッパ系の移民の多いエリアということもあってかあまりニューワールドを感じない造り。なおこのエリアはフィロキセラが蔓延したことがないため自根の古木がわりと多く残っているそうです。 ・CABERNET FRANC 2012 Broc Cellars 最初開けてすぐは濃いめのブルゴーニュに思えたくらいなめらかな造り。時間が経つとややスパイシーさが出てきてフランっぽさが出てきます。個人的にはブルゴーニュ好きに熱くおすすめしたい。これも4,000円くらいだったかな。本拠はカリフォルニア、Berkeleyの都市型ワイナリーのようですがSanta Barbara、Sonomaに加えオレゴンでもブドウを栽培しているようで品種もわりと色々と作っているようです。今後も期待大。 ちなみに今までビオい系も一通り飲んできたのですが、最近は飲んだ瞬間に馬小屋の香りが口の中いっぱいに広がるタイプのビオワインのいうのがどうにも苦手になってきまして。ビオが悪いとは思いませんが、卵白使って清澄するぐらいのことはしても良いのではないかと思います。濁ってるとか微発泡してるの...

明晰であるとはどういうことか、についての試論

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日常ってとても非日常的なものだよね、と言うととても奇妙なことを言っているように思われるだろうか。そう思わないでいられるのはある意味とても幸福なことなのだけれど。 先日、上田義彦氏と森山大道氏が対談するというので上田さんがオーナーのギャラリー916に行ってきまして、両巨匠の立ち位置の違いがはっきりとわかってなかなかに面白い内容でした。森山さんの方に明らかにアウェイ感がありあまり喋られなかったのですが、まあ上田さんの展示に際してですから上田さんを立てないといけないですしね。ただ森山さんが冒頭の発言をされましてね、何が森山大道という人を森山大道たらしめているのか、それははっきりとわかりました。 日常というものは、本来非日常的なものなのですよ。それは例えば、外国に旅行に行ったときって何を見ても目新しいですし、写真を撮ろうと思ったらいくらでも撮れますよね? でも現地の人たちにとってみればそれはただの日常です。日本人にとっては非日常であっても。逆に外国の人にとってみれば日本の日常は非日常であって、誰しも生まれたときには非日常である自分の環境に対し、慣れることでそれは日常であり、アタリマエの風景へと変わっていくわけです。 つまりは日常とは連続する非日常であり、それを言わばすでに理解されたものと錯覚しているに過ぎないということです。Duchampの「泉」が何故アートになるかという話ですよ。実はこれって、物凄く重要な認識ではないかと思うのです。森山さんは「普段見ている風景の中に無数のスリットが見える、それを撮る」「女の人がただ目の前を横切る、それは僕にとっては非現実的なことだ」とおっしゃっていて。上田さんの方はその話を聞いて「先日のフランスの事件のような非日常が」という例を出されていたので、おそらくはそういう感覚はあまりないのだと思います。別にそれは悪いことではなくて、そういう感覚があると一般社会では生きにくくなると思いますし、おそらく広告写真では成功していなかったでしょう。要は上田さんはモダニズムの人、森山さんはポストモダンの人ということですかね。単なるアプローチの仕方の違いと思います。 ただこれは私論ですが、若くして芸術の才を示す人間というのはおそらくはまだ日常が日常に成りきっていない状態であるために日常から非日常を引き摺り出せる。しかし歳を重ねて何もかもが...

Dedicated to Saul Leiter

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いやあパツキンていいよね、という記事ではないのですが。画像はアメリカに行ったときに撮ったアメリカ人の若い女の子の後ろ髪です。まあ決して嫌いではありません。むしろ好きです。帰国してから一度お蔵にしていたのですが、 http://flopetersgallery.com/artists/saul-leiter 先日この画像を見て気が変わりまして。コレはSaul Leiterという2013年に89歳で亡くなったアメリカ人の写真家の作品ですが、感覚がまんま同じで驚きました。なんか10年くらい前に当時住んでいた西葛西の河川敷で撮った写真がAlbert Renger-Patzschの撮ったこの写真 http://cs.nga.gov.au/Detail-LRG.cfm?IRN=90474 と構図がまったく同じだったということもありますし、無意識的に過去のスッゴイ写真家の撮った写真と、自分の撮った写真の構図や質感が非常に似ているということがわりとよくあるというのはセンスがあるとも言えるけれどもちょっと注意すべきであるとも言えるし、それは良いことでもあり悪いことでもあると言えるのかもしれないね。 さてそのSaul Leiterという人の代表作はEarly Colorと申しまして、かのSTEIDL社から出版されております。その名の通り70年代前後にニュー・カラーだとかが出てきてカラー写真がきちんとアートとして認められるようになる時代にかなり先んじてカラーで作品を撮っていたという人物。とはいえMoMAの写真部門のディレクターであったEdward Steichen様もその才能を見抜いていたらしいので、まあちゃんと見る人は見ていたわけですね。イタリアにもLuigi Ghirriという同じくカラーのアート写真の先駆者と言われている人がおりますが、「何故彼らは白黒しかアート写真として認められなかった時代にカラーであることに拘泥したのか」ということに対する回答は、昨年出たギッリの「写真講義」の翻訳を読めば明らかになります。 http://www.msz.co.jp/topics/07836/ Saul Leiterは元々画家になりたかった。ギッリの写真講義は、写真の歴史を語るのにまずイメージの歴史を語ることから始めます。そこには絵画があり、「如何にしてイメージを解釈するか...

多言語学習についての覚え書き

ブログを放置したまま丸2年以上が経過しました。いや忘れていたわけではないのですが、そのうちに更新しようかと思いつつ幾星霜。また数年放置するかもしれませんし、明日更新するかもしれませんし、それは私の気分が乗るか否か次第ではあります。 さてなんで更新する気になったかといいますと、実は6月に仕事で2週間ほどアメリカに行ってきまして。North Carolina州なんですが、都市部にはBank of Americaの本社があったりしてそれなりに栄えてはいるものの一応アメリカでも南部に属する州でして、なーんかちょっと訛っているのか現地人の言っていることがいまいち聞き取れずびっくりしたというような経験をしまして。英語の発音て結構地域によってバラツキがあるんですね。生活環境によって使う言葉が異なるのは英語に限らずまあ当たり前といえば当たり前なんですが。 個人的には英語が出来ればOK、みたいな考え方は昔からあんまり好きじゃなくて、学生時代には英語以外の言語をやり始めてあれよあれよという間にそれが増え、最終的には日英を抜かして7種類ぐらいの言語をやっていたのですが、それら各種言語の有用性をつらつらと主張し、かくして英語の能力が中途半端なことになったというそのつまり言い訳となる理屈を捏ねるというまあそういうことです。ついでにおすすめの辞書なんかも紹介しちゃう。さあそれでは行ってみましょう。 1. フランス語 前職でワインを扱っていたので非常に役に立ちました。ワインの名前を読み間違えるって格好付かないので読めるに越したことはないです。フレンチ食べに行っても困らないですしね。あとは服飾と化粧品・香水の類いは言わずもがな。実用面ではその程度ですが、Roland Barthes、Michel Foucault、Jean Baudrillard、Claude Lévi-Straussあたりは人文系ならまー 読むだろー というか、翻訳のみでそれらを読んでも内容を理解できるとは到底思えないのでフランス語の学習は必須。これらの方々の書いた文章を原書で読むと、フランスのインテリ層というのは頭がおかしいレベルに頭が良いということを思い知らされます。フーコーあたりはもうあらゆる学問で常識として使いますし、社会学系ならÉmile Durkheim、Pierre Bourdie...

Andreas Gursky

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このところ暑いわ忙しいわでさっぱり更新していないこのブログですが、そういやグルスキー展の感想を書いてなかったなと思ったわけで、ちゃちゃっと書いておこうと思います。↑はその展示の行われていた国立新美術館で私が撮った画像ですが、もーグルスキーの手のひらから抜け出せていないことが如実にわかりますね。ええ、わかってはいるのですが。 http://gursky.jp まあ、こういう作風です。大判カメラを使って(一応フィルムメインらしいです)広角のレンズを絞り込んで撮影したものをフィルムスキャンにかけてとにかく情報量の多い画像を生成するわけです。ただ、同じような画像を撮ろうとするとどうなるかというと、やったことあるからわかるわけですが、仕込みでない限り画面上のあらゆる要素が勝手に動き回るわけで、撮ったはいいけど細部が気に食わないとかいうことがいうことが絶対に出てくるわけです。 私も上の画像を撮るまでに300枚ぐらいは撮り直してますからね。最新のデジタル一眼ですらそうなんですから、今の作風を90年代後半からフィルムでやってるなんつったら気が遠くなります。つうか無理や。そんなわけで聞いた限りではスキャンした後にデジタルで加工しまくってはいるようなのですが、なんというか、菊地成孔さんがCorneliusを評してpro tools芸術と言ってたように、まさにphotoshop芸術の極地というか、そんな印象でした。 気になったのは年代によって明らかにクオリティが違うことで、最近になってようやく完成を見た作風というか、昔の作品とか北朝鮮のマス・ゲームの写真とかはとくに小さい画像だと気が付かないんですが、よく見ると被写体の人とかが少し動いてしまっていて止め切れてないんですな。この作風が本当の意味で技術的に完成するときというのは、大判でデジタルバックでISO感度が3200とかぐらいまで平気で上げられるようになり、画素数は数億とか数十億とかいうレベルの途方もない容量のデータを間断なく撮りまくれるようになったとき、かもしれません。まあ確かにフィルムでも出来ることは出来ますが、うーん、あんまり現実的ではないというか、真似するには余程の財力がないと厳しいですな。そんな印象でした。 上の画像は来月に一枚だけ展示をやる予定になっておりまして、画像処理エンジンの新しいソフトウェアが欲...

Giuseppe Quintarelli

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超久々に、本日のワイン。とはいえ説明は不要か。イタリア究極の造り手の一人、だった方の一本。今のうちに、上級キュヴェも俄然買う気になってきました。ほんのりと甘い、とても素敵な味でした。

KRAFTWERK

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もう一回来ても多分行かないけれど、一度は見ておきたかった光景。赤坂ブリッツで一週間ぐらいかけて過去のアルバムを1日に一枚ずつテーマにし、3D映像を伴ったコンサート。そのTour de Franceの回。といっても電卓も人間解体もアウトバーンもやりましたがね。 http://www.youtube.com/watch?v=rIr_DQ-_thY 個人的ハイライトはアンコールのこれ。 森山大道の感想も書こうと思ったのだけれど、正直このクラスの方々に何の言を付せばいいのかよくわからないと言えばよくわからない。歴史の一部になってしまった人たち。思うのは、天才が夭折するっていうのは多分ウソでしかない。一瞬だけ輝くよりも70を過ぎる頃まで続けて、しかもまるで変わらないでいられることの方が遥かに難しい。きっと。 と同時に、芸術はとっくに死んでいるのかもしれないと思う。彼らの後には何も生み出されていないのかもしれないと思う。今現在あらゆる創作のトップを走っているような人たちは、それがこの先何も生み出さないことに実際は気付いていながら、気付かないフリをしているだけなのかもしれないと、そう思う。悲しいけれど。このところそんなことばかり考えています。 KRAFTWERK http://www.udo.jp/Artists/Kraftwerk/

DAIDO MORIYAMA

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うーむ、なんか最近撮る写真がPinkhassovぎみ。すごく真似したくなる構図の取り方なんだよなあ。 まあそれはそれとして。このところわりと忙しかったのですが、ようやく多少の余裕が出来たので先週は日曜に森美のミュシャ展を観に行き、月曜は都庁に夜景を撮りに行って水曜は大手町でMartin Parrの講演会、木曜には青山の方で森本千絵さんと中島信也さんの対談イベント、金曜は国立西洋美術館でラファエロ展、そして昨日は新宿に森山大道氏ご本人が降臨という。なんと贅沢な一週間。 ミュシャは普通に良かったです。意外と油彩画の展示も結構あり、クオリティも低くはなく非常に多才な人だったんだなあという感想。そして作品の性格によるものなのか、観客がやたら若い美人だらけ。そして大抵カップルで来ている。ええ世の中そんなもんです。ヒルズの展望台は有料なので5,250円の年間パスを買ってしまおうかと思案しているところなのですが、年4回美術館に入れば元は取れるんだよな。むーん。 結局、年間パスは買わず終いだったので夜景が撮れなかったのが心残りで、翌日に仕事の後に向かったのが東京都庁。なにせ無料。エライ。都庁の展望台は北と南に分かれておりまして普段夜間に公開されているのは北側なのですが、北側が休館の時だけ、つまり月曜日の隔週にだけ、南側にも夜間に入ることができるのです。それを狙って行ってきたと。 このパークハイアットとかは南からでないと無理ですからね〜 次、Martin Parr。大手町の日経のビルにいらして、まあ主にこれまでの写真集の解説、以上。みたいな感じでさらっと終わりました。講演を聞いてわかったことは、ぱーさんは泳げない、でもビーチはすき。みたいな。ただ、一つだけ気になった指摘がありました。日本においては欧米の写真の情報は多く入ってきているのだけれど、中国の写真の情報がまったく入ってきていない、それが不思議だと。なるほど。今回の来日でも、めっちゃ写真集を買い込んで帰るそうです。 木曜日、 森本千絵。森本さんが製品プロモーションに関わったCanon EOS Mの限定カラーを今回プロデュースしたので、それに関連して彼女の誕生日の日に青山の骨董通りにあるヴァルカナイズ・ロンドンにて、以前講演でお見掛けしたことのあるCMディレクターの中島信也さんと対談という...

Francis Bacon展

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このところ、My Bloody Valentineの22年振りだかにこの間出たばかりの新譜を聴きつつ、Michael Gelvenというアメリカの研究者の方が書いたHeideggerの「存在と時間」の解説本の翻訳を読むというようなヤケクソな組み合わせで朝の通勤電車の時間を過ごしているのですが、いやー、しかし生きてるうちに出るのかなと思っていたので(なにせ赤子が成人するぐらいの時間が流れているわけで)、感無量ですわ。内容も文句なしですし。ハイデガー読みつつ時間概念を捉え直すには、ある意味お誂え向きの一枚かもしれませぬな。それにしても何も変わっていない。時代の先を行き過ぎた存在は、何十年を経ようとも別に変わる必要はないという。「そんなの関係ねぇ」そう、言っている気がします。 生きているうちにこんな日が来るなんて…! という気分は先週末にもFrancis Bacon展に行って味わえました。ベーコンは個人的にはこの世で一番好きな画家です。次点Mark RothkoかGerhard Richter、あとSeuratとGogh。やや別格の存在としてGiorgio Morandi。先の震災でモランディの回顧展が中止になってしまったのは心から残念なことです。まあそれはともかく、矢も盾もたまらず竹橋の近代美術館へ、初日からすっ飛んで行ってきたわけです。 結論から申し上げますとメッチャ良かったですね。数年前にヨーロッパの美術館を廻ってPompidouだのTateだので現物を見たことはあったのですが、これだけ纏めて国内で見られるなんて。今回来たのも結構そうなんですけど、わりとアメリカで人気があるからなのかUSの各地の美術館に多数散っているようなので、それらを観て廻るのはあまり現実的ではないと思いますし、かといって国内で企画展をやっても特に年配の人らがこれを理解できるかと言えば、やや疑問なのは事実。 今回の企画展のコピーは「ピカソと並ぶ美の巨匠」。でも例えば、普通のおじいさんとかおばあさんがあの一部の漫☆画太郎の高級版みたいな絵を見ながらに「いいねえ」とか言い合っている画は正直想像がつきません。そのような理由であまり企画展が行われてこなかったのだろうとは思うのですが。初日は金曜日で夜8時までやっているのでそれを狙って行ってきたのですが、年齢層的にも30〜40代ぐらいが中心...

Gueorgui Pinkhassovワークショップ

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さて、どこまで書いていいものかと思うのですが、参加者少なかったからなあ。書いておくことに価値があるとは思うので、軽くだけ顛末をさらっておくことにします。 それは先月の末のこと。2月の頭にCP+というパシフィコ横浜で行われる写真関連の展示会に「行こうかなー」と思い、なんとなく展示会のHPを開いた私。それで見つけてしまったのですね。Magnum Photo主催のワークショップの情報を。なんとマグナム正会員が直接教えてくれるという。ただ、参加費が2日で5万。「高っ」と思ったものの、いやお前、泣く子も黙るあのマグナムだぜ? 今行かなかったらこんな機会は二度とあるのかもわからないわけで、D800用に広角を買い足そうと思って貯めておいたのが丁度5万ぐらいはあるな… などと逡巡しつつ、気が付いたら「参加します」というメールを送っておりました。 数日後にマグナムの日本支社の方から当日の前日に会場の準備をしているのでもし来れれば来てくださいという旨のメールが返ってきて、前日の金曜日に仕事が終わったその足でパシフィコ横浜の会議棟へ。メールに書いてあった部屋の前まで行くとマグナム日本支社の方がいらっしゃって名前へ告げて中へ入ると、座っていたピンカソフ本人と白人の若い女性2人、あと日本人の男性。紹介されて女の人はそれぞれピンカソフの娘さんと通訳の方と判明。男性は今回の参加者の方でした。 ピンカソフはモスクワ生まれでロシア出身なのですが、現在はパリ在住との情報は事前に仕入れていたのでフランス語で大丈夫なのか確認しつつ、挨拶ぐらいはと思いフランス語で話し掛けました。とまあ最初はフランス語を使ったものの、通訳の方が東京の大学に修士として留学中ということもあって日本語が頗る上手い。自分で下手なフランス語を使って失礼な言い方をしてもまずいのでその後は通訳の方に頼りっぱなしでしたが、いや実にフレンドリーな印象。会場の準備だけのつもりがすでに準備という程のものはなく、もし作品を持ってたら出してくれと言われ、予定してなかったので纏まっていない画像もろもろをiPadで見せたりしつつ、これはいいとかあれはだめとかそんな話をしていました。 マグナムの日本支社の方によるとワークショップの実施が決まったのが本当に直前だったとかでほとんど告知する余裕もなく、2日で5万という値段に引いたのか、あるいはマ...

À Ligoter 2011

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大分久し振りですが、本日のワイン。Chablisの生産者、Alice et Olivier De MoorのÀ Ligoter 2011。その名の通りアリスとオリビエが作っているワイン。これは勿論品種はアリゴテですが、値段も2000円そこそこですし白のデイリーワインとしては最高じゃないでしょうか。3000円台のシャブリも熱くおすすめできます。まだ若手なんですけど、本当に作りがしっかりしていてエチケットも洒落ていて贈りものにもGOOD。幸せな気分になれる白ですね。是非一度お試しあれ。

東京タワーを横から見たら

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正月に勢いでNIKON D800を買ったのですが、AF-S NIKKOR 85mm f1.8GをISO100でf11ぐらいまで絞り込んでみたら↑のような画像が撮れました。おそろしや。もはや現実感の無い精細感。六本木ヒルズ展望台にて。 ええまあ、森美に会田誠展とか観に行ったんですわ。どうすかこの病みっぷり。(ここだけ撮影可でした)まあそのー こういう素晴らしい技術を本当ぉぉに無駄に使用するというのは嫌いではありませんが、あのような方は一緒に居ると、きっとものすごく疲れると思います。ほら、会田さんの作品に宇宙ウンコとかあるじゃないすか。普通の人間ならね、作品を作っているうちに我に返ると思うんですよ。「なぜ俺は宇宙に巨大なウンコを描いているのか?」と。で、描くのを止めるはずなんですよ。そうならない時点で天才なのは間違いないとは思うのですが、こうなってしまうというのはなんとも勿体ない、無惨なことであります。 会田展に精神的に疲れつつ、その足で向かうは上野。東京都美術館にて、El Greco展。閉館時間が迫った頃に行ったせいか、わりと空いていて観やすい。色遣いとかを見てもわかる通りにグレコはグレコで病んでいるのですが、ああいうエロ狂気とは質が違うので、時折安らぎも訪れます。まあ、ただね、グレコって正直技術的にはそんなに巧くはないように思うんですな。題材もごくフツーの肖像画とか神話ネタとかが多くて、そんなに驚きはない。でもこのポスターにもなっている「無原罪の御宿り」が目に入ったときには思わず「うおっ」て呻いてしまいました。少なくともこの一枚は、間違いなく歴史的傑作だと思います。 今更気付いたのですが、El Grecoというのは本名ではありません。ギリシア出身だからグレコ、にスペイン語の男性定冠詞el。また余談ですけれども、フランス語のアルファベットYはイグレックと読みますが、これはイ・グレック(ギリシアのイ)という意味です。イタリア語でもイグレーコ読んだりします。スペイン語だとイグリエガ。意味はみんな同じ。元々はギリシア語のユプシロンから来ているようです。ええ、覚えても特に役には立ちません、よ。 会田誠展「天才でごめんなさい」 http://www.roppongihills.com/feature/aidamakot...

iPad買いました

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これ程までに極楽感のあるアイテムだとは思いませんでした。今更ですが、先月末にauから発売になったばかりの第4世代 iPadを発売日の翌日に入手。これが実にいい。デバイスとしての完成っぷりが素晴らしい。というわけで、一ヶ月近くいろいろといじくってみた上での感想を書きたいと思います。契約したのはcellular版64GB、RetinaディスプレイかつLTE対応。なにしろ最新。当然ですが画面はめっちゃ綺麗ですし、CPUもiPhone 5のA6よりもさらにグラフィックチップのコア数の多いA6Xで全くストレスなし、バッテリーもすごく長持ちしますし(相当に使いまくってもフル充電で一日持たないということはまずないです)LTEも噂通りに速っーでありまして、何ら文句の付けようがありません、以上! でもいいとは思うのですが、これを買ったことによってどのような変化が起きたのか具体的な事例をいくつか。 •雑誌とコミックを買わなくなった オンラインでダウンロード販売されている雑誌とコミックに関しては買う必要がほとんどなくなりました。写真や美術系の雑誌、かろうじてファッション誌などは主に大きさの点で紙の方がいい場合もあるとは思いますが、ライフスタイル誌、グルメ系とかのカタログ系の雑誌に関してはこれで十分ですね。むしろ、えーとこの間雑誌で見たあの店ってどこだっけ? みたいなときにそれが手元の端末にすべて入っている、というメリットは非常に大きいと思います。価格も若干安い場合が多いです。コミックに関しても、ちょうど青年コミックを見開いた状態の大きさに近いため非常に見やすいです。iPad miniとの大きな差はここですね。miniの場合、読書コンテンツを片面だけ表示させる分にはほとんど不足はないと思います。ただ、見開いたときの迫力に欠ける点は否めないですし、雑誌のビューワーとしてはちょっとつらいかなと。これは通常のiPadの大きさでも、紙と比べるとまだ小さいと感じるぐらいですしね。あくまで個人的な意見ではありますが。 •iPod TouchがWeb端末子機になった でかい方が見やすく、そして押しやすい(iPhone 5を予約までして結局買わなかった理由はこれが大きく、あの大きさだとわりと私は押し間違えていらいらします)のは確かですが、満員電車の中等では流石に出しにくいです。解決策...

男の肌を考える

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頬に生える髭が時折悪さをして炎症を起こすことがあり、最近その頻度が上がってきたため近所の皮膚科へ行って「どうにかなりませんか」と言ったところ、以下のような答えが返ってきました。 ・T字のひげ剃りはあかん。肌に良くない。今日の帰りにでも電器屋へ行って電気シェーバーを買って帰れ。即チェンジ。 ・朝晩洗顔。安いのでいいからちゃんと洗顔料を使って。洗顔石鹸がベスト。 ・その上で塗り薬ぬれ。ちょっとステロイドも入ってるけどよく効く。炎症を抑える飲み薬も出しとくから朝晩飲め。 ・あと、ウチじゃやってないけど外科行ってさっさと脱毛。間違ってもエステじゃなくて、美容外科で。 とはいえ電気シェーバーはなあ。好きじゃないんだよなあ。そこそこ高いのなら剃り心地も悪くないのかもしれないけど、調べてみたところ大体15000〜30000円ぐらいな感じか。2〜3年で買い替えるとして定期的な刃の交換やらシェービング剤やら何やらのランニングコストを計算してみたところ、結構な出費。うーん、痛い。とはいえ全部脱毛するのもどうかという気もするし、T字を継続する方向で考えてみました。で、まあカミソリ負けしなきゃいいわけだ。要は。ということでいろいろと調べてみた結果。 これを買いました。CLINIQUEのcream shave。クリニークなんつったらいかにもお高そうなイメージですが、定価は3000円ぐらいのものがネットの通販サイトを探せばわりと安く買えます。実際に使ってみたら流石にまったくカミソリ負けせず、なかなかいい感じ。あとは石鹸を使ってがしがし洗顔しつつ、T字の刃(もちろんGilletteの5枚刃です)もわりと高いけど、なるべくこまめに換えるようにすればトラブルなく過ごせるかな。 しかしシェービングクリームはまだしも乳液だのまでこのクラスのものを買おうとするとネット通販ですらまだまだ高い。ちょっと買う気はしない。まあ、男の肌も何気に結構お金が掛かるという、そういうお話でした。 CLINIQUE http://www.clinique.co.jp

人を撮るということ

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ほんの数日前に、職場の飲み会で私の向かい側でちゃんこ鍋をつついていた人が交通事故で突然亡くなるという事件が起きる。はっきり言って、何の実感も湧きません。まだ20代の女の人で、とてもそんな痛ましい死に方をしなければならないような人には思えなかったのだけれど。こういうときって何も、言葉が浮かんでこないものなんですね。 ただ一つだけ確かなことは、どうにも仕様がないということ。時間は遡らない。どんな科学も、ただ無力なだけ。人って余りにもあっさりと死んでしまうものなのだなと、今更ながらに思います。せめてきれいに写真でも撮っておいてあげていれば多少は慰められたかなと思わなくはないのだけれど、でもそれは所詮写真でしかないという気もするし、何の意味もないのかもしれないと思ったりもします。 そんなことを考えていたらなんとなく、Gallery 916へと足が向いていました。有田泰而「First Born」展。すでにオープニングのレセプションのときにも一度行っているのだけれど、身近な死を前に「人を撮る」ということの意味を、その名の通りに人が生まれるまでの一連の光景を収めた作品を再度見つつ考えたくなったのでした。 有田泰而氏は今現在においては正直あまり有名な写真家ではないですが、上田義彦氏の師匠であり、一時期はかなり著名な写真家であったとのことです。主に1960年〜70年代にかけて商業写真家として活躍した後にあまり写真を撮らなくなり、アメリカの田舎へ隠遁して絵画や彫刻を制作し続け、昨年70歳で亡くなったとあります。 やや不思議な、厭世的な雰囲気も漂う人物感。そんな印象でしょうか。上田さんは弟子の時代に師匠の目を盗んではこっそりと今回展示された作品を見ていたらしいのですが、昔から相当に気に入ってらっしゃったようで。亡くなったことを機に有田氏の奥様が回顧展をやりたいと思い他の方と話を進めていたところ、そのことを知った上田さんは「この作品をこの世で一番愛しているのは自分だから、私にできることであれば何でもやらせてください」と言ったとか。 http://www.1101.com/ueda_yoshihiko/ 詳細に関してはこちらを見ていただいた方が早いかな。秀逸な記事です。 思ったのは、これらの写真に写っているのは「死」ではなく「生」ではあるけれども、ただこれらの光景も...

写真展2発

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ども。ここまでネタが写真展ばかりだと流石にどうなのかと思うのですが、やはり写真展です。しかも2連発です。もはや開き直りです。さて、その1発目は御覧の通りに篠山の御大。巨大なパネルが並べられたオペラシティの会場は非常に見応えがありました。来場者も老若男女で多かったし。 篠山氏の評価、まあ世間的にも写真家方々の間でも毀誉褒貶ありますが、私はやっぱり巨匠だと思っています。本当に誰でも知っている。日本人の間では写真家=篠山紀信ぐらいに知られている。その一点においてやはり篠山氏に右に出る者はおりませんし、あとは荒木さんぐらいでしょうか。写真にまったく興味のない層に森山大道という名を問うても知らない人は多いと思いますが(写真に興味のある層にはまったくもって絶大ですけれど)篠山氏の名はなぜかみんな知っている。 芸術的な才能と商業性というのは必ずしも一致しないとは思います。才能はあるけど売れない人、あるいは商業的な才はあるけど芸術的な才能のない人というのはしばしば散見するわけですが、本当に一握りの内の一握りながら芸術的な才がありつつ商業的に成功することが出来る人間が稀に存在します。正直なところ私はその類いの方々を一番尊敬しておりまして、上田義彦氏とか、海外だとAlbert Watsonとかはわりとその類いかなと思うのですが、篠山氏はさて、どうなのか。 芸術的な才能のあるなしというのは、写真であれ、あるいは音楽であれ、時間が経ってみれば確実にわかります。それはもう残酷な程に。ただ、今回の展示で言えばかなり昔の、それこそ三島由紀夫だとかの写真なんかもつい最近撮った作品とともに並べられていたわけなのですが、全然普通に違和感なく見れました。そういうセレクトをしたのかもしれませんが、これは何気にすごいことです。並べられていたのは篠山氏の得意な人物写真を中心にディズニーのスタッフがとにかく大勢で写っている写真や、関取が土俵の周りに勢揃いしたものなどの企画物もあり、なかなかバリエーションに富んだ内容。まあ裸体の芸術性でHerb Rittsみたいなのと比較するのは多少無理がありますが、大衆的な芸術性という意味では間違いなく一級ですね。個人的には、夜に街灯の明かりだけで撮ったとかいう巨大な蒼井優が素晴らしかったかな。 もう一件はワタリウム美術館、「歴...

SALUMERIA 69

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来ちゃった♡、っていうか。先日、新宿伊勢丹でイタリア展をやってまして。そこにPaolo Parisiさんという有名な養豚家の方がいらしていて、何でもイタリアに3頭しかいなかったチンタ・セネーゼなる超稀少な古代種の黒豚を飼育して復活させたという、半ば伝説的な人物らしいのですが(あと卵で有名)そのような話を聞いて私も伊勢丹まで買いに行ったものの、行ったときにはすでに生ハムは完売でサラミしか残っておりませんでした。 チンタ・セネーゼのサラミももちろんおいしかったのですが、なんかこうもやもやした感じが晴れず。したらばということで噂のこちらの店へと中目黒から自転車で行ってきたわけです。最寄りは成城学園前ですが、住所は調布市。駅前から結構歩くらしかったし電車代に往復1000円掛けるのならその分ハムに回した方がと思ったわけで、ちょっとうっかり狛江市に入ったりしつつ1時間程で到着。まあ正しいルートを通れば片道40分ぐらいですね。 私の前に来たおぢさんは、20分程も掛けて(もちろんお客さんが来てからカットするので)サラミやら生ハムやらあれやこれやを27000円(!)分買って、画像の左のタクシーで帰っていったという。呆然ですわ。イタリア展の際にパオロさんの生ハムをレストランで食べようっていうイベントをやっておりまして、そのときにそのハムをカットしに来てらしたのがこちらの店の方だったらしいのです。でそのときの話なんかを多少聞いたりしつつ、100gで6000円とかいうよくわからない値段のネロ・パルマ24ヶ月熟成を、家から持って来た皿に「3000円分盛ってください」と頼んで盛ってもらいました。いやはや、A5ランクの和牛が買えますな。もちろん100gで1000円台のハムとかも置いてありますけど。 「パオロさんの生ハムはどうだったんですか?」と聞いたら、「いやー、やっぱりあれは別格だった、すごかった」とのこと。「まあエネルギーのベクトルは違うけど、これもおいしいですよ」と買った生ハムをその場で一枚味見させてくれたんですが、なんかパルミジャーノ・レッジャーノの味がしました。もちろんチーズが掛かっているわけではないんですが、どうも餌に多少混ぜてあるようです。チンタ・セネーゼ程ではないものの、ネロ・パルマも2003年の段階で100頭程しかいなかったとのことで現在でも1000頭程度、十...

さらに写真展へ

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ガーデンプレイスGRANOのワンプレートランチ。恵比寿に行くとわりといつも食べてしまう。まだ行くかって感じですが、立て続けに東京都写真美術館へと、操上和美展を観に行って参りました。 先日ミッドタウンでやっていたTokyo Photo 2012も当然行って、Inez Van Lamsweerde and Vinoodh Matadinももちろん良かったですし、Steven Meiselのオリジナルプリントも初めて見れましたし、やっぱりマッギンレー別格だわとか、横須賀功光スゲーとか松江泰治氏の作品はすごくよく考えられてるよなあとかも思ったんですが、最近見てもっとも心を射抜かれたのはどれかと問われれば迷うことなく操上和美氏の作品と答えます。 会場に入ると、まず目に入るのはやや荒めのモノクロのパネル。何でもおもちゃカメラで撮ったとかで。それが会場の半分ぐらいを占めていました。何と言うか、綺麗な写真というのはある程度の機材を揃えて訓練を積めば、それなりには撮れるようになるとは思うのですよ。ただこの類い、見たこともないのに何故か懐かしいような、ただ美しい記憶を想起させるような、そういう写真を撮れる人間というのは、極めて稀だと思います。 写真では他に思いつかないかな。視覚芸術という範中で言えば、私の知っている限りでは高木正勝氏の作品ぐらい。政治的主張とか強烈な意思とかは特に感じられない、ただひたすらに美しいだけの作品。例えるのならば、道ですごくきれいな人と擦れ違って、もう二度と出逢うことはないんだろうなと思いながらもその顔もはっきりとは思い出せなくて、でもすごく綺麗な人だったという余韻だけは残っている、なんとなく刹那いような、そんな淡い儚い記憶。それが写っている。 ただノイジーならそんな写真になるかといえばそうではないんですよね。森山大道さんの写真にそんな感想は持たないですもん。両者の一体何が違うのか、そう問われても、答えられない。こういうのって教育でどうなるというものでもないですよねえ。自分の感覚で捉えるしかない。 さて、次は篠山紀信展かな。 操上和美 時のポートレイト http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1653.html 操上和美 http://www.kurigami.net ...