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今さらながら一眼ムービーを考える

今まで動画と中判デジバックに関しては「沼どころじゃない、そっち行ったら死ぬぞ」と思っていたので今まで頑なに見ないことにしていたのですが、多少暇なうちにできることは増やしておいたほうがいいと思い始め、最近いろいろと調べております。 今メインはD800なので、H.264 1080p 30fps(full HD)までは撮れるんですよね。最高画質での連続撮影時間は約20分、720pまで落とせば約30分(いわゆる30分の壁)までは撮れますが、較べてみたところ1080pと720pの差はかなり大きいので、動きの速いもの等どうしても60fpsで撮りたいということでなければ1080pで撮るのが正解と思います。D810であれば1080p 60fpsも使えますが、仕様を見る限りでは一度に10分しか撮れなさそうですね。 まあNikonにしてみれば多分、ウチは動画屋じゃないんで長時間動画撮りたい方はHDMI出力付けときましたんでBlackmagicかAtomosあたりの外部レコーダー繋いでくださいということでしょうけど。ていうかクロサワじゃないんですから普通そんなに長回ししないでしょう? という話で。ええまあ。1カットが20分を超えるようなのってクラシック主体の演奏会か舞台演劇、あとインタビューくらいかな。長く撮れるに越したことはないですが、そうすると今度はセンサーの熱が問題になってきますし、十分といえば十分か。 D5とD500が4K動画が撮れるということで話題になっておりますし、私も期待しているところではあるのですがこの感じだと実は4Kで一度に撮れるのは5分とか、30分までは撮れるけどファイルが6個生成されますとか、30分で生成されるファイルサイズは約24GBになりますとかになる予感。なんか外部レコーダーを前提に考えた方が良いような。どうせ4Kで撮るのならH.264よりはProResで撮った方が良さげな気がしますしね。 というわけで当面は1080p 60fpsで撮れるのなら私はそれで十分です。4Kに慣れちゃうと1080pでも物足りなくなるでしょうけども。30fpsでは正直ちょっとカクカク感があります。まあH.264でもかなり綺麗です。実際ファイルサイズを考えると動画で無圧縮とか考えただけでも気が重いですし。D500の画素ピッチのままのD810後継機が出てきたらISO1280...

明晰であるとはどういうことか、についての試論

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日常ってとても非日常的なものだよね、と言うととても奇妙なことを言っているように思われるだろうか。そう思わないでいられるのはある意味とても幸福なことなのだけれど。 先日、上田義彦氏と森山大道氏が対談するというので上田さんがオーナーのギャラリー916に行ってきまして、両巨匠の立ち位置の違いがはっきりとわかってなかなかに面白い内容でした。森山さんの方に明らかにアウェイ感がありあまり喋られなかったのですが、まあ上田さんの展示に際してですから上田さんを立てないといけないですしね。ただ森山さんが冒頭の発言をされましてね、何が森山大道という人を森山大道たらしめているのか、それははっきりとわかりました。 日常というものは、本来非日常的なものなのですよ。それは例えば、外国に旅行に行ったときって何を見ても目新しいですし、写真を撮ろうと思ったらいくらでも撮れますよね? でも現地の人たちにとってみればそれはただの日常です。日本人にとっては非日常であっても。逆に外国の人にとってみれば日本の日常は非日常であって、誰しも生まれたときには非日常である自分の環境に対し、慣れることでそれは日常であり、アタリマエの風景へと変わっていくわけです。 つまりは日常とは連続する非日常であり、それを言わばすでに理解されたものと錯覚しているに過ぎないということです。Duchampの「泉」が何故アートになるかという話ですよ。実はこれって、物凄く重要な認識ではないかと思うのです。森山さんは「普段見ている風景の中に無数のスリットが見える、それを撮る」「女の人がただ目の前を横切る、それは僕にとっては非現実的なことだ」とおっしゃっていて。上田さんの方はその話を聞いて「先日のフランスの事件のような非日常が」という例を出されていたので、おそらくはそういう感覚はあまりないのだと思います。別にそれは悪いことではなくて、そういう感覚があると一般社会では生きにくくなると思いますし、おそらく広告写真では成功していなかったでしょう。要は上田さんはモダニズムの人、森山さんはポストモダンの人ということですかね。単なるアプローチの仕方の違いと思います。 ただこれは私論ですが、若くして芸術の才を示す人間というのはおそらくはまだ日常が日常に成りきっていない状態であるために日常から非日常を引き摺り出せる。しかし歳を重ねて何もかもが...

Dedicated to Saul Leiter

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いやあパツキンていいよね、という記事ではないのですが。画像はアメリカに行ったときに撮ったアメリカ人の若い女の子の後ろ髪です。まあ決して嫌いではありません。むしろ好きです。帰国してから一度お蔵にしていたのですが、 http://flopetersgallery.com/artists/saul-leiter 先日この画像を見て気が変わりまして。コレはSaul Leiterという2013年に89歳で亡くなったアメリカ人の写真家の作品ですが、感覚がまんま同じで驚きました。なんか10年くらい前に当時住んでいた西葛西の河川敷で撮った写真がAlbert Renger-Patzschの撮ったこの写真 http://cs.nga.gov.au/Detail-LRG.cfm?IRN=90474 と構図がまったく同じだったということもありますし、無意識的に過去のスッゴイ写真家の撮った写真と、自分の撮った写真の構図や質感が非常に似ているということがわりとよくあるというのはセンスがあるとも言えるけれどもちょっと注意すべきであるとも言えるし、それは良いことでもあり悪いことでもあると言えるのかもしれないね。 さてそのSaul Leiterという人の代表作はEarly Colorと申しまして、かのSTEIDL社から出版されております。その名の通り70年代前後にニュー・カラーだとかが出てきてカラー写真がきちんとアートとして認められるようになる時代にかなり先んじてカラーで作品を撮っていたという人物。とはいえMoMAの写真部門のディレクターであったEdward Steichen様もその才能を見抜いていたらしいので、まあちゃんと見る人は見ていたわけですね。イタリアにもLuigi Ghirriという同じくカラーのアート写真の先駆者と言われている人がおりますが、「何故彼らは白黒しかアート写真として認められなかった時代にカラーであることに拘泥したのか」ということに対する回答は、昨年出たギッリの「写真講義」の翻訳を読めば明らかになります。 http://www.msz.co.jp/topics/07836/ Saul Leiterは元々画家になりたかった。ギッリの写真講義は、写真の歴史を語るのにまずイメージの歴史を語ることから始めます。そこには絵画があり、「如何にしてイメージを解釈するか...

Andreas Gursky

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このところ暑いわ忙しいわでさっぱり更新していないこのブログですが、そういやグルスキー展の感想を書いてなかったなと思ったわけで、ちゃちゃっと書いておこうと思います。↑はその展示の行われていた国立新美術館で私が撮った画像ですが、もーグルスキーの手のひらから抜け出せていないことが如実にわかりますね。ええ、わかってはいるのですが。 http://gursky.jp まあ、こういう作風です。大判カメラを使って(一応フィルムメインらしいです)広角のレンズを絞り込んで撮影したものをフィルムスキャンにかけてとにかく情報量の多い画像を生成するわけです。ただ、同じような画像を撮ろうとするとどうなるかというと、やったことあるからわかるわけですが、仕込みでない限り画面上のあらゆる要素が勝手に動き回るわけで、撮ったはいいけど細部が気に食わないとかいうことがいうことが絶対に出てくるわけです。 私も上の画像を撮るまでに300枚ぐらいは撮り直してますからね。最新のデジタル一眼ですらそうなんですから、今の作風を90年代後半からフィルムでやってるなんつったら気が遠くなります。つうか無理や。そんなわけで聞いた限りではスキャンした後にデジタルで加工しまくってはいるようなのですが、なんというか、菊地成孔さんがCorneliusを評してpro tools芸術と言ってたように、まさにphotoshop芸術の極地というか、そんな印象でした。 気になったのは年代によって明らかにクオリティが違うことで、最近になってようやく完成を見た作風というか、昔の作品とか北朝鮮のマス・ゲームの写真とかはとくに小さい画像だと気が付かないんですが、よく見ると被写体の人とかが少し動いてしまっていて止め切れてないんですな。この作風が本当の意味で技術的に完成するときというのは、大判でデジタルバックでISO感度が3200とかぐらいまで平気で上げられるようになり、画素数は数億とか数十億とかいうレベルの途方もない容量のデータを間断なく撮りまくれるようになったとき、かもしれません。まあ確かにフィルムでも出来ることは出来ますが、うーん、あんまり現実的ではないというか、真似するには余程の財力がないと厳しいですな。そんな印象でした。 上の画像は来月に一枚だけ展示をやる予定になっておりまして、画像処理エンジンの新しいソフトウェアが欲...

DAIDO MORIYAMA

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うーむ、なんか最近撮る写真がPinkhassovぎみ。すごく真似したくなる構図の取り方なんだよなあ。 まあそれはそれとして。このところわりと忙しかったのですが、ようやく多少の余裕が出来たので先週は日曜に森美のミュシャ展を観に行き、月曜は都庁に夜景を撮りに行って水曜は大手町でMartin Parrの講演会、木曜には青山の方で森本千絵さんと中島信也さんの対談イベント、金曜は国立西洋美術館でラファエロ展、そして昨日は新宿に森山大道氏ご本人が降臨という。なんと贅沢な一週間。 ミュシャは普通に良かったです。意外と油彩画の展示も結構あり、クオリティも低くはなく非常に多才な人だったんだなあという感想。そして作品の性格によるものなのか、観客がやたら若い美人だらけ。そして大抵カップルで来ている。ええ世の中そんなもんです。ヒルズの展望台は有料なので5,250円の年間パスを買ってしまおうかと思案しているところなのですが、年4回美術館に入れば元は取れるんだよな。むーん。 結局、年間パスは買わず終いだったので夜景が撮れなかったのが心残りで、翌日に仕事の後に向かったのが東京都庁。なにせ無料。エライ。都庁の展望台は北と南に分かれておりまして普段夜間に公開されているのは北側なのですが、北側が休館の時だけ、つまり月曜日の隔週にだけ、南側にも夜間に入ることができるのです。それを狙って行ってきたと。 このパークハイアットとかは南からでないと無理ですからね〜 次、Martin Parr。大手町の日経のビルにいらして、まあ主にこれまでの写真集の解説、以上。みたいな感じでさらっと終わりました。講演を聞いてわかったことは、ぱーさんは泳げない、でもビーチはすき。みたいな。ただ、一つだけ気になった指摘がありました。日本においては欧米の写真の情報は多く入ってきているのだけれど、中国の写真の情報がまったく入ってきていない、それが不思議だと。なるほど。今回の来日でも、めっちゃ写真集を買い込んで帰るそうです。 木曜日、 森本千絵。森本さんが製品プロモーションに関わったCanon EOS Mの限定カラーを今回プロデュースしたので、それに関連して彼女の誕生日の日に青山の骨董通りにあるヴァルカナイズ・ロンドンにて、以前講演でお見掛けしたことのあるCMディレクターの中島信也さんと対談という...

Gueorgui Pinkhassovワークショップ

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さて、どこまで書いていいものかと思うのですが、参加者少なかったからなあ。書いておくことに価値があるとは思うので、軽くだけ顛末をさらっておくことにします。 それは先月の末のこと。2月の頭にCP+というパシフィコ横浜で行われる写真関連の展示会に「行こうかなー」と思い、なんとなく展示会のHPを開いた私。それで見つけてしまったのですね。Magnum Photo主催のワークショップの情報を。なんとマグナム正会員が直接教えてくれるという。ただ、参加費が2日で5万。「高っ」と思ったものの、いやお前、泣く子も黙るあのマグナムだぜ? 今行かなかったらこんな機会は二度とあるのかもわからないわけで、D800用に広角を買い足そうと思って貯めておいたのが丁度5万ぐらいはあるな… などと逡巡しつつ、気が付いたら「参加します」というメールを送っておりました。 数日後にマグナムの日本支社の方から当日の前日に会場の準備をしているのでもし来れれば来てくださいという旨のメールが返ってきて、前日の金曜日に仕事が終わったその足でパシフィコ横浜の会議棟へ。メールに書いてあった部屋の前まで行くとマグナム日本支社の方がいらっしゃって名前へ告げて中へ入ると、座っていたピンカソフ本人と白人の若い女性2人、あと日本人の男性。紹介されて女の人はそれぞれピンカソフの娘さんと通訳の方と判明。男性は今回の参加者の方でした。 ピンカソフはモスクワ生まれでロシア出身なのですが、現在はパリ在住との情報は事前に仕入れていたのでフランス語で大丈夫なのか確認しつつ、挨拶ぐらいはと思いフランス語で話し掛けました。とまあ最初はフランス語を使ったものの、通訳の方が東京の大学に修士として留学中ということもあって日本語が頗る上手い。自分で下手なフランス語を使って失礼な言い方をしてもまずいのでその後は通訳の方に頼りっぱなしでしたが、いや実にフレンドリーな印象。会場の準備だけのつもりがすでに準備という程のものはなく、もし作品を持ってたら出してくれと言われ、予定してなかったので纏まっていない画像もろもろをiPadで見せたりしつつ、これはいいとかあれはだめとかそんな話をしていました。 マグナムの日本支社の方によるとワークショップの実施が決まったのが本当に直前だったとかでほとんど告知する余裕もなく、2日で5万という値段に引いたのか、あるいはマ...

人を撮るということ

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ほんの数日前に、職場の飲み会で私の向かい側でちゃんこ鍋をつついていた人が交通事故で突然亡くなるという事件が起きる。はっきり言って、何の実感も湧きません。まだ20代の女の人で、とてもそんな痛ましい死に方をしなければならないような人には思えなかったのだけれど。こういうときって何も、言葉が浮かんでこないものなんですね。 ただ一つだけ確かなことは、どうにも仕様がないということ。時間は遡らない。どんな科学も、ただ無力なだけ。人って余りにもあっさりと死んでしまうものなのだなと、今更ながらに思います。せめてきれいに写真でも撮っておいてあげていれば多少は慰められたかなと思わなくはないのだけれど、でもそれは所詮写真でしかないという気もするし、何の意味もないのかもしれないと思ったりもします。 そんなことを考えていたらなんとなく、Gallery 916へと足が向いていました。有田泰而「First Born」展。すでにオープニングのレセプションのときにも一度行っているのだけれど、身近な死を前に「人を撮る」ということの意味を、その名の通りに人が生まれるまでの一連の光景を収めた作品を再度見つつ考えたくなったのでした。 有田泰而氏は今現在においては正直あまり有名な写真家ではないですが、上田義彦氏の師匠であり、一時期はかなり著名な写真家であったとのことです。主に1960年〜70年代にかけて商業写真家として活躍した後にあまり写真を撮らなくなり、アメリカの田舎へ隠遁して絵画や彫刻を制作し続け、昨年70歳で亡くなったとあります。 やや不思議な、厭世的な雰囲気も漂う人物感。そんな印象でしょうか。上田さんは弟子の時代に師匠の目を盗んではこっそりと今回展示された作品を見ていたらしいのですが、昔から相当に気に入ってらっしゃったようで。亡くなったことを機に有田氏の奥様が回顧展をやりたいと思い他の方と話を進めていたところ、そのことを知った上田さんは「この作品をこの世で一番愛しているのは自分だから、私にできることであれば何でもやらせてください」と言ったとか。 http://www.1101.com/ueda_yoshihiko/ 詳細に関してはこちらを見ていただいた方が早いかな。秀逸な記事です。 思ったのは、これらの写真に写っているのは「死」ではなく「生」ではあるけれども、ただこれらの光景も...

写真展2発

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ども。ここまでネタが写真展ばかりだと流石にどうなのかと思うのですが、やはり写真展です。しかも2連発です。もはや開き直りです。さて、その1発目は御覧の通りに篠山の御大。巨大なパネルが並べられたオペラシティの会場は非常に見応えがありました。来場者も老若男女で多かったし。 篠山氏の評価、まあ世間的にも写真家方々の間でも毀誉褒貶ありますが、私はやっぱり巨匠だと思っています。本当に誰でも知っている。日本人の間では写真家=篠山紀信ぐらいに知られている。その一点においてやはり篠山氏に右に出る者はおりませんし、あとは荒木さんぐらいでしょうか。写真にまったく興味のない層に森山大道という名を問うても知らない人は多いと思いますが(写真に興味のある層にはまったくもって絶大ですけれど)篠山氏の名はなぜかみんな知っている。 芸術的な才能と商業性というのは必ずしも一致しないとは思います。才能はあるけど売れない人、あるいは商業的な才はあるけど芸術的な才能のない人というのはしばしば散見するわけですが、本当に一握りの内の一握りながら芸術的な才がありつつ商業的に成功することが出来る人間が稀に存在します。正直なところ私はその類いの方々を一番尊敬しておりまして、上田義彦氏とか、海外だとAlbert Watsonとかはわりとその類いかなと思うのですが、篠山氏はさて、どうなのか。 芸術的な才能のあるなしというのは、写真であれ、あるいは音楽であれ、時間が経ってみれば確実にわかります。それはもう残酷な程に。ただ、今回の展示で言えばかなり昔の、それこそ三島由紀夫だとかの写真なんかもつい最近撮った作品とともに並べられていたわけなのですが、全然普通に違和感なく見れました。そういうセレクトをしたのかもしれませんが、これは何気にすごいことです。並べられていたのは篠山氏の得意な人物写真を中心にディズニーのスタッフがとにかく大勢で写っている写真や、関取が土俵の周りに勢揃いしたものなどの企画物もあり、なかなかバリエーションに富んだ内容。まあ裸体の芸術性でHerb Rittsみたいなのと比較するのは多少無理がありますが、大衆的な芸術性という意味では間違いなく一級ですね。個人的には、夜に街灯の明かりだけで撮ったとかいう巨大な蒼井優が素晴らしかったかな。 もう一件はワタリウム美術館、「歴...

さらに写真展へ

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ガーデンプレイスGRANOのワンプレートランチ。恵比寿に行くとわりといつも食べてしまう。まだ行くかって感じですが、立て続けに東京都写真美術館へと、操上和美展を観に行って参りました。 先日ミッドタウンでやっていたTokyo Photo 2012も当然行って、Inez Van Lamsweerde and Vinoodh Matadinももちろん良かったですし、Steven Meiselのオリジナルプリントも初めて見れましたし、やっぱりマッギンレー別格だわとか、横須賀功光スゲーとか松江泰治氏の作品はすごくよく考えられてるよなあとかも思ったんですが、最近見てもっとも心を射抜かれたのはどれかと問われれば迷うことなく操上和美氏の作品と答えます。 会場に入ると、まず目に入るのはやや荒めのモノクロのパネル。何でもおもちゃカメラで撮ったとかで。それが会場の半分ぐらいを占めていました。何と言うか、綺麗な写真というのはある程度の機材を揃えて訓練を積めば、それなりには撮れるようになるとは思うのですよ。ただこの類い、見たこともないのに何故か懐かしいような、ただ美しい記憶を想起させるような、そういう写真を撮れる人間というのは、極めて稀だと思います。 写真では他に思いつかないかな。視覚芸術という範中で言えば、私の知っている限りでは高木正勝氏の作品ぐらい。政治的主張とか強烈な意思とかは特に感じられない、ただひたすらに美しいだけの作品。例えるのならば、道ですごくきれいな人と擦れ違って、もう二度と出逢うことはないんだろうなと思いながらもその顔もはっきりとは思い出せなくて、でもすごく綺麗な人だったという余韻だけは残っている、なんとなく刹那いような、そんな淡い儚い記憶。それが写っている。 ただノイジーならそんな写真になるかといえばそうではないんですよね。森山大道さんの写真にそんな感想は持たないですもん。両者の一体何が違うのか、そう問われても、答えられない。こういうのって教育でどうなるというものでもないですよねえ。自分の感覚で捉えるしかない。 さて、次は篠山紀信展かな。 操上和美 時のポートレイト http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1653.html 操上和美 http://www.kurigami.net ...

Alejandro Chaskielberg

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とくにホームページとかでは何の告知もなかったのですが、「実は本人来るんですよー」っていう話を前回のRalph Gibsonの展示のときにGallery 916のスタッフの方に聞いていたもので、ちゃっかり行って来ました。Alejandro ChaskielbergのHigh Tide(満潮)展、展示初日。ギャラリー内で御本人をお見掛けしたら、ドレッシーな青シャツの好青年風(といっても35か?)にNicole Kidmanみたいな美人の嫁さんと、まさにというか、玉のような赤子を伴ってらっしゃいました。えーと、読めませんか。アレハンドロ・チャスキエルベルグ、ね。 彼は2011年にSony World Photography Awardsという世界最大級の写真賞、えー、以下を http://www.dailymail.co.uk/news/article-2095791/Sony-World-Photography-awards-shortlist-2012-provides-real-challenge-eye.html 御覧の通りに超絶ハイレベルな中をPhotographer of the Yearを受賞したというアルゼンチン、Buenos Aires出身で77年生まれの若手、先日のRyan McGinleyに続きこちらも、今もっとも旬な写真家なのは間違いありません。いやー、ほんと今月は充実しているな。 何やら聞いた話によると、彼の写真は基本的に月光で何分も露光させて撮るという。風景写真でそんなのを撮る人は日本人の写真家でいた気がしますが、彼の場合は写っているのは人であります。一体どうやって撮るので? と思うのが普通でしょう。どうやって撮るのかは916の方から、伺ったら普通に聞けました。なんとポジを使用。4×5(Sinarらしい)で、手前の人物だけフラッシュを焚いて写して、あとは長時間露光で背景を写し込む。それを現像の後にフィルムスキャン、で、たぶん多少いじってからラムダで出力、らしい。と聞いて、技術的には真似出来なくはないとは思うのだけれど、途方もない手間が掛かるのは間違いないので私は御免ですわ。長時間露光によるものか、ライアンとは別のベクトルの特徴的な色、とくに空の蒼さとか黒人の肌の黒い煌めきとか(これは実際見ないと文章では伝え...

Reach Out, I'm Right Here

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今現在ヒカリエの8/ ART GALLERYでも展示されている、Ryan McGinleyの作品。音楽が小さくしか掛かっていなかったので、Francesco Tristanoの「idiosynkrasia」をiPodで聞きつつ眺めていたら、かなりのシンクロ感があって素晴らしかったので書いておくことにします。#5 Fragrance De Fragaあたりが実にいい。 ライアン自身は相当なロック好きのようで(Morrisseyのファンらしい)、ヒカリエと同時に作品展が開催されている清澄にある小山登美夫ギャラリーの方で行われたオープニングレセプションでは、彼は入ってくるなり これを置き、フロアにはdiptyqueの苔の香りとともに(キャンドルの方はギャラリーに元からあった)流れるロック・ミュージック。しゃれおつですな。この辺の感覚がいかにもアメリカ人。彼の写真を私が最初に意識したのは、今は無きEsquire日本版の2005年2月号の表紙。それが今や、世界で最も旬なフォトグラファーと言ってしまっていいでしょう、しかもこのまま行けばTillmans以降の最重要人物として歴史に名を残すことがほぼ確定的。経歴は検索を掛ければすぐに出てくるので書きませんけれど、超イケメンだわ、背高いわ(たぶん190cmくらい)、Parsons出とるわ、ご覧の通りのとんでもない写真のセンスを持っとるわで、なんかもう腹立たしいぐらいにいろいろ揃ってらっしゃいます。 彼の写真というと裸体が何かと意識されがちですが、個人的には最も特徴的なのは圧倒的な「色」。色に支配された写真。それもニュー・カラーのそれとは違うし、蜷川実花的なある種の毒々しさを持った色とも違う。何か新しい感じがする、やや不思議な色の感覚。 あと意外と、人を遠方から撮った表現を好むんですよね。 http://vimeo.com/46501170 ↑これとかまさにそうなんですが、本当に彼がケタ外れの才能を持っているということがよくわかる動画。普通この曲調でこういう動画は撮らないし、撮れない。街中で少女? がスキップをしているというだけなんですが、カットの一つ一つがものすごく良く出来ていて驚きでした。間違いなく近年のベストMV。そのうち映画とか撮り始めるかもしれないな。(なんか実際...

世界の起源

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「Lucian Freudお好きなんですか?」という前々から持っていた疑問を鷹野隆大さんに直接ぶつけてみたのですが。「ああ、まあ好きだけど」「ヨコたわるラフとか、構図も被写体もそのまんまなのがありますけど」「それは偶然だよ」「そうなんですか? 特に意識をしたわけではない?」「いや、意識はしてないねえ」だそうな。意識していなくてあれだけ評価の高い画家と感性がシンクロするというのも、それはそれで凄い話だけれど。 先週の土曜日に、品川から京急に乗って横浜より少し先の井土ケ谷まで行き、駅から5分程歩いたところにあるblanClassというアート系スペースにて行われたトークイベントに参加してきたのですが、それが先の鷹野さんと2008年キヤノン写真新世紀グランプリ受賞の秦雅則さんの対談なのでした。実はもう3回目でして、去年の冬頃から数ヶ月毎に開催されて今回がラスト、私は前2回も参加してきました。たぶん国内で最も変な写真が撮れるお二人。いや、褒めてるんですよ。いろんな人の写真を見ていて気付いたのは、普通の人にはどんなに頑張っても普通の写真しか撮れないということ。不思議なことですけれども。日常に向かってシャッターを押して特異なイメージを具現化できるというのは、それなりに特異な感性が必要なのです。 さて今回はそんなお二人が双方ともに新作を出すということで楽しみにしていたのですが、鷹野さんの方は… クールベでした(笑)なんともコメントしにくい。遂にこれをやってしまわれたか、という思い。色んな意味でエクストリームな新作。いや、流石でした。しかしこれやっちゃったら、次は何処へ行くんだろう? 秦さんの方はと言えば、やはり一見して普通の人間には撮れない写真だと感じました。なんともよくわからない、でも明らかに「普通」ではないイメージ。「昨日の晩までいろいろ考えていた」と仰っていましたが、私が最初に新作を見た印象は「デスマスク?」。草っぱらの中に浮かぶデスマスク、しかもアラブ人的な髭付き、みたいな。話を聞けば数ヶ月前に中判カメラ(6×9って言ってたかな?)を買ったらしく、それで撮ったフィルムを現像したあとアルコールに浸けてしばらく直射日光の当たるベランダに放置しておいたとのこと。で、それを自分で紙に焼いたと。要は腐食させたフィルムを使って作られたらしいんですね。使...

Thomas Demandに会ったりする

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トーマス・デマンドで検索するとわりと上位に坂井真紀さんのBlogが引っ掛かりました。これ。 http://sakaimaki.jp/blog/5568 好きなのか。意外ですな。今回の企画展に合わせてわざわざデマンドさん本人がいらっしゃるということなので、行ってくることにしたのだけれども、なかなかデマンドなんて知っている人間は少ないのではないか、人、集まるのか? と思っていたら甘かった。開場30分前の時点で定員200名に対して軽く100人以上は列をなしていました。しかもなんか外国人の姿もちらほら、海外の方が人気高そうだもんねえ。日本人もなんか心なしかその多くから芸大生とか芸術学系の院生とかそんな風な感じが醸し出されていたり。 画像の位置の良席を確保してしばし待つ。席に座り切れなかった人たちにはクッションが配られ、彼らは床に腰掛けていました。こんなに人気があったとは。さてそれでは、トークの開始であります。登壇者は企画者及びチーフキュレーターの長谷川祐子さん、わりと有名人な方ですね。通訳は横田佳世子さん(彼女はTillmansが来日時にトークをしたときも通訳をされたようです)で、デマンド自身の語り口もジョークを絡めながらではあったのだけれど、その雰囲気も巧く訳している感じ。横田さんが独特の間を持っていてこれがかなり面白い。 トークの内容をここで細かく列挙することは面倒なのでいたしませんが、話を聴いていて思ったのはそもそもThomas Demandという人は正確には写真家というよりは現代美術家と言った方が正しいのかなと。どうもDüsseldorfは出ているけど、実際にはBecher-Schuleではないらしいし。彼の写真というのは、基本的に彼の手によって作られたペーパークラフトを記録したものなのですね。本当にリアルな椅子とか、実は全部が紙で出来ている。米国大統領執務室から美術館内の事件現場、さらには福島第一原発の制御室に至るまで、インテリアと彫刻を学んだ経験からとんでもない技術と労力を費やして(ほんとよくやるわ…)終いにはハリウッドのスタッフを動員してそれでアニメーションまで作り出すのだから恐れ入ります。それが今回の新作、”Pacific Sun”で、大嵐に遭遇した豪華客船の内部を監視カメラがとらえた映像(Youtube等でも流れた)を再現しました、...

In the material world

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なんかモデルっぽい人がいるなあ、と思ったら桐島かれんさんだった。そりゃモデルっぽいわ。モデルだもの。先週の金曜日に今開催されている上田義彦氏の写真展「Materia」を見に行ってきたのですが、この日の夜にかけて上田氏の他にCMディレクター中島信也氏、アートディレクター中島英樹氏、キュレーター後藤繁雄氏といった、視覚による伝達において現在の日本でそれぞれの分野で最先端、かつ頂点に立っているであろう面々が揃ってのトークショーがあるとのことで、それを目当てに会場に入ったらばそこにモデルっぽい上田氏の奥様がいらしたと、そういうことなのです。 その会場がですね(笑)ご覧の通りに、どう見ても倉庫(笑)清澄にあるタカイシイギャラリーとかの入っているアートコンプレックスのような感じです。まさにあれと同じ。ゆりかもめの竹芝駅よりほど近く、私はJR浜松町駅から歩いて行ったのですが、そちらからでもほどほどの距離でした。上の画像の看板にも書いてありますけど、どうやら以前は扶桑社のスタジオだった…のかな? 室内にもよく見れば白く塗られた壁にアールの痕がありましたし。でもって、下の階には操上和美氏率いるpyramid filmが。ここにあったんですね。  さて、中に入るとそこには結構だだっ広い空間がぱかっと口を開けており、壁は前述のように白塗りでちゃんとしたギャラリーの雰囲気です。私は少し早めに会場に入って展示を眺めていたわけなのですが、その作品がですね、上田さんが震災のあとに屋久島に行って撮ってきたという一連の写真で、これがまたなかなかに驚きの内容だったわけでして。 なにしろ、ざーっと眺めてみてそのほとんどの写真の手前側にはピントがきていない。大抵は焦点が合っているのは画像の中頃かやや後方といった感じで、一体どこにフォーカスを合わせようとしているのか判然としない。画像によってはわりと派手にハイライトを飛ばしたり暗部を潰してしまっているものも少なからずあり、これらの写真を写真集に纏めるディレクションを依頼された中島秀樹氏が、「あれ、これって…失っっ敗じゃないの??(笑)」と最初に見たときには思ったという、なんとも上田義彦らしからぬ感じで。 上田さんというとなんかわりとダークトーンで、大判のポテンシャルをフルに活かした細部までの緻密な描写の写真のイメ...

Elliott ErwittのParis

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銀座にパリが出現。今、CHANEL NEXUS HALLにてElliott Erwittの写真展が開催されておりまして、今月の29日までなので行ってきました。まあ、文句なしに現代における生けるLegendの1人です。行かないわけにはいかないでしょう。内容としては実にパリらしい、人は踊り犬は跳ねる、まさにパリでありました。としか言いようがないかな(笑)行って損はないと思いますがね、無料ですし。シャネルの銀座店の中にあるので若干入りにくい(Karl Lagerfeldは心の底から尊敬しますが、普段の私にとってはどう考えても用のない店)ですが、充実した展示に満足いたしました。Magnumのメンバーの技量はやはり別格です。見ていない人は、問答無用にとっとと見に行くべしです。 PARIS SERA TOUJOURS PARIS !  エリオット アーウィットが見つめたパリ http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2012/erwitt/

モン・サン=ミシェルを撮るには?

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昨日、Flickrの方に今まで載せていなかったMont Saint-Michelの写真を載せてみたのですが、閲覧数の上がり方が非常に早い。さすが世界遺産。ただ、すごくフォトジェニックな建造物であるとは思いつつも、画像を検索してみると意外と上手く撮れた写真が少ないということに気が付きました。というのも何分観光地なもので、近接して撮ろうとするとこの写真の手前の辺りにはヨーロッパ各国からの観光客を乗せたツアーバスが大量に並んでおりまして、それを画に入れてしまうと途端に俗っぽくなってしまうわけなのです。藤原新也「俗界富士」的なものを狙うのであればそれもアリといえばアリですが、普通に綺麗に撮ろうとするのならば、大量の車が写っている時点で即座に失敗写真の出来上がりです。で、それらを外して上だけ撮ろうとすると構図的にみんな似たり寄ったりというか、絵葉書ちっくなよくある感じになってしまってイマイチ面白くないというか。だからこれまでは載せていなかったわけなんですけどね。 他に考えられる解決策としては、それらの車が気にならない程度に遠くまで離れて遠景を撮る。実際に広告の写真などで使用される場合にはこの構図が多いように思うのですが、そうすると美しくはあるんですけど建物のディテールがわかんな過ぎて個人の写真としては面白くないかなという気もするんですよね。あとは近辺に宿泊してツアーバスが来る前の早朝に撮るとかいろいろと考えられるわけなんですが、やはり海の中にあってこその奇観ですし、満潮時で、天気が良くて、とかまで考え出すと完全なるベスト・ショットが撮れるタイミングというのはなかなかに限られます。それはただふらっと行っただけでは、確実に撮れません。 いっそあれだな、手前の道路も全部海の中に沈めて「千と千尋の神隠し」の如くに水上をレトロな電車で行ったり来たりするようにすればいいと思う。どうせ奇想を目指すならばそこまでやらなければダメでしょう。なんか昔はそんな感じだったっぽいのですが。あとでかくしたいね、こういう画は。先日発表されたNikon D800とかで撮ればきっと最高ですね。 ついでなので画素数の問題についてちょっと書いておこうかと思うのですが、上の画像は35mmのISO100のネガフィルムで撮ったもので、それを現像と同時に1300万画素相当でフィルムスキャンしてもらったも...