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Andreas Gursky

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このところ暑いわ忙しいわでさっぱり更新していないこのブログですが、そういやグルスキー展の感想を書いてなかったなと思ったわけで、ちゃちゃっと書いておこうと思います。↑はその展示の行われていた国立新美術館で私が撮った画像ですが、もーグルスキーの手のひらから抜け出せていないことが如実にわかりますね。ええ、わかってはいるのですが。 http://gursky.jp まあ、こういう作風です。大判カメラを使って(一応フィルムメインらしいです)広角のレンズを絞り込んで撮影したものをフィルムスキャンにかけてとにかく情報量の多い画像を生成するわけです。ただ、同じような画像を撮ろうとするとどうなるかというと、やったことあるからわかるわけですが、仕込みでない限り画面上のあらゆる要素が勝手に動き回るわけで、撮ったはいいけど細部が気に食わないとかいうことがいうことが絶対に出てくるわけです。 私も上の画像を撮るまでに300枚ぐらいは撮り直してますからね。最新のデジタル一眼ですらそうなんですから、今の作風を90年代後半からフィルムでやってるなんつったら気が遠くなります。つうか無理や。そんなわけで聞いた限りではスキャンした後にデジタルで加工しまくってはいるようなのですが、なんというか、菊地成孔さんがCorneliusを評してpro tools芸術と言ってたように、まさにphotoshop芸術の極地というか、そんな印象でした。 気になったのは年代によって明らかにクオリティが違うことで、最近になってようやく完成を見た作風というか、昔の作品とか北朝鮮のマス・ゲームの写真とかはとくに小さい画像だと気が付かないんですが、よく見ると被写体の人とかが少し動いてしまっていて止め切れてないんですな。この作風が本当の意味で技術的に完成するときというのは、大判でデジタルバックでISO感度が3200とかぐらいまで平気で上げられるようになり、画素数は数億とか数十億とかいうレベルの途方もない容量のデータを間断なく撮りまくれるようになったとき、かもしれません。まあ確かにフィルムでも出来ることは出来ますが、うーん、あんまり現実的ではないというか、真似するには余程の財力がないと厳しいですな。そんな印象でした。 上の画像は来月に一枚だけ展示をやる予定になっておりまして、画像処理エンジンの新しいソフトウェアが欲