Francis Bacon展


このところ、My Bloody Valentineの22年振りだかにこの間出たばかりの新譜を聴きつつ、Michael Gelvenというアメリカの研究者の方が書いたHeideggerの「存在と時間」の解説本の翻訳を読むというようなヤケクソな組み合わせで朝の通勤電車の時間を過ごしているのですが、いやー、しかし生きてるうちに出るのかなと思っていたので(なにせ赤子が成人するぐらいの時間が流れているわけで)、感無量ですわ。内容も文句なしですし。ハイデガー読みつつ時間概念を捉え直すには、ある意味お誂え向きの一枚かもしれませぬな。それにしても何も変わっていない。時代の先を行き過ぎた存在は、何十年を経ようとも別に変わる必要はないという。「そんなの関係ねぇ」そう、言っている気がします。

生きているうちにこんな日が来るなんて…! という気分は先週末にもFrancis Bacon展に行って味わえました。ベーコンは個人的にはこの世で一番好きな画家です。次点Mark RothkoかGerhard Richter、あとSeuratとGogh。やや別格の存在としてGiorgio Morandi。先の震災でモランディの回顧展が中止になってしまったのは心から残念なことです。まあそれはともかく、矢も盾もたまらず竹橋の近代美術館へ、初日からすっ飛んで行ってきたわけです。

結論から申し上げますとメッチャ良かったですね。数年前にヨーロッパの美術館を廻ってPompidouだのTateだので現物を見たことはあったのですが、これだけ纏めて国内で見られるなんて。今回来たのも結構そうなんですけど、わりとアメリカで人気があるからなのかUSの各地の美術館に多数散っているようなので、それらを観て廻るのはあまり現実的ではないと思いますし、かといって国内で企画展をやっても特に年配の人らがこれを理解できるかと言えば、やや疑問なのは事実。

今回の企画展のコピーは「ピカソと並ぶ美の巨匠」。でも例えば、普通のおじいさんとかおばあさんがあの一部の漫☆画太郎の高級版みたいな絵を見ながらに「いいねえ」とか言い合っている画は正直想像がつきません。そのような理由であまり企画展が行われてこなかったのだろうとは思うのですが。初日は金曜日で夜8時までやっているのでそれを狙って行ってきたのですが、年齢層的にも30〜40代ぐらいが中心だったように思います。

時系列で並べて展示してあったので、そのことで結構いろいろと発見がありました。わりと時代別ではっきりと画風に変遷がある、ということがまず一つ。にも関わらず、フォーマットは基本的に縦の大型でガラスの額縁に入れるというのが一貫している、ということがもう一つ。三幅対を手掛けているのは晩年に多いということも一つ。あとは色彩の感覚も晩年ほど鮮やか、というか背景が明るい単色のカラーペーパー調が多用されている、ということとか。

もちろん一枚目から感動していましたが、私が一番好きなのはやっぱり晩年の三幅対ですね。ああいう抽象と具象を行ったり来たりするようなのが視覚芸術に求める一つの理想型だと思っています。ただ、私だけかな。三幅対辺りの作品を見ていて色合いといい構図といい、思わず頭に思い浮かんだのはRyan McGinleyの「Animals」。 彼はこれを意識して… というのは果たして考え過ぎなのかどうなのか。

兎にも角にも素晴らしかったです。30点程度と数はそんなに多いわけではないですが、一枚の大きさは大きいですし、次に企画されるのはいつになるのやらわかったものではないのでちょっとでも興味があるのならば行っておくべきです。私も、もう一回ぐらいは行くかなあ。

フランシス・ベーコン展 東京国立近代美術館
http://bacon.exhn.jp

My Bloody Valentine  m b v
http://www.mybloodyvalentine.org/Catalogue.aspx

Mark Rothko
http://www.nga.gov/feature/rothko/

Gerhard Richter
http://www.gerhard-richter.com

Giorgio Morandi
http://www.mambo-bologna.org/museomorandi/

Ryan McGinley Animals
http://ryanmcginley.com/animals-2/

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