フェルメールとオランダの光について

考えたんですが、ただ映画評やイベントに行ってきた感想を書くだけでは然程におもしろいものにはならないと思う。従って、当ブログにおいては試みとしてなるべく1つの事象に絡めて2つ、3つのことを同時に扱ってみることにする。ただし、そのために即時性が失われてはあまり意味がないものに関しては除く。

先日「フェルメールからのラブレター展」に行ってきました。場所は渋谷、東急Bunkamuraの夕暮れ時。もっとたくさん人が居るかと思ったら、平日の6時も過ぎるとわりと空いてる感じで悪くなかった。美術展の名前からして注目は当然フェルメールなのだけど、多くの人が御存知の通りに彼は極めて寡作な作家であったため、その名前が冠されていようと大抵はオランダ・フランドル絵画回顧展の様相を呈す。今回も勿論そのパターンに違わず、彼の作品は3点のみ。

しかし、その3点は彼の作品のうちでもいずれも確実に上位に入ると思われる作品であり、中でも「手紙を読む青衣の女」はかなり大規模な修復が行われた後の世界初公開であるとのこと。会場内でもその修復の過程に関して文章での解説がなされていました。確かに修復前の画像と見比べるとフェルメールらしいあの青色が蘇っているように見えます。3点のサイズはいずれもやや小さめ。でもやっぱり作品の質は大きさではないんだよな。よいよい。

あとフェルメールも良いのだけれど、今回は他の来日作品にも秀作が多い印象。その中でもとくに目を引かれたのが父子で画家なFrans van Mierisの衣服の表現。ネットで検索してみればいろいろ見られるけれども、纏っている服の光沢の処理が、もうスンゴい。巧過ぎ。これは実際に見て損なしだと思う。

それに関連して家で「オランダの光」というドキュメンタリー映画をDVDで見る。オランダには独特の「光」がかつて存在し、それが前述のフェルメールやレンブラントといった作家が作品を生み出す源泉となった、…が、かのJoseph Beuysが言うには1900年代のオランダ北西部のアイセル湖の干拓によりそれは失われてしまったんやで、との内容。ふむふむ。湖面が光を反射して地上の鏡のように作用し、独特の「光」を生み出していたと言うのだ。まあ科学的には何の根拠もない発言であるわけですが。ボイスは直観の人だしな。

確かに、オランダの芸術の中に独特の光の存在を感じないわけではないけれど、ただそれは、低地の国なので遠景の景色の中に山が存在しない、そして森もない、ということが大きいのではないでしょうか。視界に入るものが水平に近い地平線で空が広ければ画的に開放感も出るでしょうし住む環境は描く人の心理にも大きく影響してくるでしょうから。ドイツが森に囲まれた国であるのと反対に。

あと一つ作中でおもしろい指摘だなと思ったのが、Piet Mondrianの一連の「コンポジション」とフェルメールの表現しようとしたものは同じ「光」であったとの発言。確かに三原色と白に基づいているということは、それすなわち光の表現に他ならないわけで、モンドリアンはそういった意味で極めてオランダ的な画家だと。なるほど、イタリアの陽光の下にモンドリアンの作品が生まれそうにはないのも事実。

映画は他にJames Turrellやらも出てきていろいろ語ってくれます。ただ、全編に出てくるオランダの景色は美しいのだけれど、内容は美術に興味がなければたぶんつまんないでしょうね。逆に視覚芸術に興味のある人はぜひ見るべしだな。

フェルメールからのラブレター展
「オランダの光」

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